= ヒマラヤ・トレッキング =

独協医大に勤める前、十一月に、一ヶ月ほど休みがあったので、外国旅行に行くことにした。

当初、若い時行けなかったモロッコに行こうと思っていた。残念ながら、催行最小人員に満たなかったので、ツアーは中止になった。それじゃあと、若い頃からあこがれであったヒマラヤのトレッキングに行くことにした。

コースは比較的初心者向きの“アンナプルナ コース”を選んだ。

成田が集合場所だった。 ツアーの参加者は二十人弱、中高年の登山ブームを反映して、私が二番目に若い(二十代の女性が一人)。60代が圧倒的に多かった。

最高齢は70代後半の女性と同じぐらいの男性である。皆、当然ながら、山好きの人である。

成田からネパールの首都カトマンズまで八時間ぐらいと記憶している。

カトマンズの空港が近づいて来ると、飛行機の右手にヒマラヤの山脈が見えてくる。

飛行機は満席であったが、乗客は右側の窓を覗き込もうと、右によってくる。

「飛行機って、重心が片側によっても、大丈夫なんだろうか?ふと、不安になる。

カトマンズは“何か昔懐かしさを漂わせる街”だった。

本日はカトマンズのホテルに入って、予定は終了。夕食はネパールの超からい寄せ鍋のようなもの。

次の日、天気は晴れ。カトマンズは盆地にあり、十一月だというのに寒い感じはない。(緯度は奄美大島と同じくらい)

十一月はヒマラヤ トレッキングのベスト シーズンの一つと言われている。

ネパールには雨期もあり、せっかくネパールまで来て雨ばかりで、ヒマラヤの山を見ないで帰られる方もいると聞く。

カトマンズからポカラへ飛行機で飛ぶ。途中、ヒマラヤの山脈の直ぐ側を飛ぶが、日本人が発登頂したことで有名な“マナスル”などが、直ぐ横に美しい姿を見せてくれる。


広いグランドのようなポカラの土の飛行場             ポカラの繁華街 牛は神様である       昼食をしていると現地の人がお土産を広げる

ポカラの飛行場は土で、田舎の小学校のグラウンドのような感じだった。空港ビルのようなものはなく、バスの待合室のような小屋があっただけだった。

ポカラから眺める“マチャプチャレ(日本語で魚の尾という意味を持つ山)”がとにかく美しい。

ポカラは非常にのんびりと人が生きている、と言う感じだ。行きかう車もほとんどなく、広場では男性達が日本の将棋のようなものに興じている。(今日は平日のはずだが、仕事はどうしたのだろう?)その横には牛が歩いたり、寝そべったりしている。(インドと同じく、牛は神様なのだ。)

ポカラからはバスに乗る。これが超ぼろいバス。

バスを降りて、しばらく歩く。本日の目的地、“チャンドラコット”に着く。

チャンドラコットは人口数百人ぐらいの小さな村で(これから行く村は全部そう)、そこの段々畑の横の広場にテントを張る。

ここでトレッキングの歩き方について書く。トレッキングのグル−プには成田から日本人の案内者がつく。私の時は若い男性だった。この方は英語とネパール語に長けており、トレッキングも、当然ベテランで何度もヒマラヤを歩いたことがあり、道中、帰りの成田までついていてくれる。

ポカラからはネパ−ル人のシェルパーとポーターとがつく。シェルパ−は案内人だ。

現地で泊まる所の決定、食事のメニュ−の決定、食材の調達、料理などはすべてがシェルパーさんの仕事だ。ポータ−さんは全てのものを運ぶ人。

我々の荷物もテントも寝袋も全て運んでくれる。(テントや寝袋も用意してある。)

だから、我々は手ぶらでカメラだけ持って歩けば良いのである。写真好きの人で、写真器具一切を一人のポーターの人を専属にして持ってもらい、気に入った景色のところがあるとカメラを出して、写真を撮っているおじいさんがいた。

 朝、「朝だよ〜。起きて。」シェルパーさんの片言の日本語で起きる。

シェルパーさんは、皆、日本語が話せた。中には、非常に上手い人もいる。

テントから顔を出すと、お湯の入った洗面器とコップが置いてある。それで洗顔や歯を磨く。

次に、ミルクティを持ってきてくれる。

やがて朝食の用意ができる。朝食はトーストと何かだった。

朝食の間にテントなどは撤収してくれる。荷物なども、我々の必要なものを残して、先発隊のポーターさんは出発していく。

朝食が終わり、我々の出発の準備が終わると出発である。

「ビスタリー・トントン」ネパール語で、ゆっくりと歩けという意味らしい。

同伴のシェルパーさんが声をかけてくれる。

一日に歩く距離はそう長くはなく、休み時間も長い。

昼休みの予定地には先発隊が先に行っており、そこに我々が行くと、既に、昼食が用意されている。

道はよく整備されており、時折、小さな集落がでてくる。そこには茶店があり、飲み物が飲める。コーラも飲めるので驚いた。何でも、麓の大きい街から背中にしょって運んで来るそうで、現地の金銭感覚で非常に高いものだが、「彼らの貴重な現金収入になるので、是非、飲んでください。」とガイドさんが言っていた。


一日目のキャンプ場                 キャンプ地に遊びに来た地元の子どもたち   翌日は晴れだった。キャンプ地から見上げると
                                                                        目の前にアンナプルナ サウスが立っていた

昼からの行動も短く、宿営地に行くと、既にテントが張ってある。夕食までの間、ネパ−ルのビールを飲む。これがおいしい。

以上、これが我々のトレッキング。

で、一日目の宿営地、ポカラを出る頃までは晴れていてヒマラヤの山なみが美しかったが、宿営地は曇っていた。

夕食は大きなテントで皆で食べる。何を食べたかは覚えていないが、食後のデザートに、どのようにして焼いたのかはわからないが、手作りのケーキがでてきて驚いたのを覚えている。

食後にシェルパーさんとお酒を飲んだ。お酒は現地調達で、地元の村の焼酎だという。あっさりとしてくせがなく、結構おいしかった。

夜中に眼がさめて、テントの外に出てみた。雲の切れ間に見える星空は、普段、北海道の山奥で美しい星空を見ている私でも見たことのない美しさだった。

朝、皆がまだ寝ている薄暗い時刻に起きて外に出た。

テントからでると、昨日まで見えなかった“アンナプルナ南峰”が眼の前に、ヌ〜とそびえている。思わず、他の人を起こそうかと思った。

次の日、天気は快晴、トレッキングに出発。アンナプルナ山群のふもとを回るようにトレッキングは進む。万年雪をかぶったヒマラヤの山が美しい。


日本の古い農村を思わせる道が続く   丁度収穫の時期で家族総出で水牛を使って脱穀などをしていた。 我々の荷物を担いでくれる若いポーターさん

山の斜面には見事な段々畑が続く                    装飾した長蛇のロバ隊とすれ違う     休憩地から見たヒマラヤの山脈み

時々、ヤギの行列とすれちがう。

トレッキングをしている外国人も多い。インド人や米国人やヨーロッパの人やオ−ストラリア人、中国系の人。色々な人に出会う。ヒマラヤ観光は日本より国際的だ。

単独のトレッキングはやめた方が良いとのこと。山の中なので治安は決してよくはなく、時々行方不明者がでると。私が行った時も、アメリカの青年を探すポスターが張ってあった。

途中の村では、ちょうど収穫の時期なのだろう。

親子で作物を干したり、脱穀をしたりしている。「日本の昔の農村の風景はこんなんだったのかな?」日本の原風景をみるようだ。

取り入れといっても米作はない。ガイドさんに聞くと、あわやひえのようなものだと言う。とうもろこしも、家ののきに干してあった。

何代にも渡り、先祖代々受け継がれてきたのだろう。山の斜面を利用した見事な段々畑が続く。


地元の学校 学校は100万円あれば建つという            死の山ダウラギリの壁                プルーンの丘から見たアンナプルナ山群とマチュピチャレ

やがて今夜の宿営地、ガンドルンと言う比較的大きな村につく。この辺ではアンナプルナ南峰の奥に8000mを越えるアンナプルナ1峰が見えてくる。

ガンドルンの村には何件かのお土産やがあった。子供たちにネパールの帽子と安い500円ぐらいの皮の財布を買った。

翌日、皆で朝早く起きて、日の出を見た。朝日に輝くアンナプルナ山群は言葉を失うほど、美しかった。アンナプルナ南峰は登れそうな気がしたが、8000mを越えるアンナプルナの主峰、1峰は不気味ですらあった。

翌日も快晴、本日は温泉のある村タトパニまで行く。このトレッキング唯一の強行軍。昼食の休憩地(広い所に敷物を敷いて、食事をする)の横の丘を登ると“ダウラギリ”が見えると。食事の前に見て来た。

本日の宿営地タトパニへ着く。

この村には、暗いが電気がきていた。聞いたところでは、ある日本人のタクシ−の運転手さんが、私費をなげうって、ヒマラヤの地形を利用して、水力発電を作ったのだそうだ。 (無名でも立派な人はいるものだ。政治家の先生の叙勲の記事を見ていて、いつも思う。)

ガイドブックに温泉と書いていたが、露天風呂で他の外国人の観光客は水泳パンツをはいていたので、入るのをやめた。

翌日、ゴレパニへ向かう。ゴレパニを、早朝まだ外が真っ暗いうちにヘッドランプを頭につけて、近くのプーンヒルに登る。

プーンヒルの頂上は天然の展望台とも言える場所で、遠くマナスル山群、アンナプルナ山群、死の山とおそれられたダウラギリ山群が見える。

特にダウラギリ1峰の壁が圧倒的迫力で迫ってくる。

プル−ンヒルを降りて、比較的大きい村ビレタンティの郊外の川の側の比較的広い空き地にテントを張る。ここから見るマチャプチャレは一服の絵のように美しい。

確かパラマゥント映画の巻頭にこんな写真がでていた。

本日はシェルパ−さんが、最後の夜だからキャンプファイアをして、太鼓をたたいて(トレッキング中も日本の鼓のような太鼓を持って歌を歌いながら歩いていた。我々とは心肺機能が違うらしい)歌を歌って、ネパールの踊りを見せてくれるとのこと。

そのつもりをしていたが、夕食の後、地元の焼酎を飲みすぎて、前後不覚になってしまい、テントの中で寝てしまった。

次の日、他の人に「昨日、いなかったけれどどうしたの?楽しかったよ。」と言われたけれど、テントに帰ったところまでしか覚えていない。残念!

ビレタンティの村からバスに乗ってポカラに帰りカトマンズに戻る。

ホテルに帰りしばらく振りに風呂に入る


飛行機のコックピットに座らせてもらった      中央高いのがエベレスト

次の日、一日中フリ−。エベレストまで行って帰って一時間ぐらい、運賃一万円の観光飛行機があるという。ここまできてエベレストを見ないと後悔すると思い、それに思いきって乗ることにした

飛行機は小型のジェット機。日本人も外人さんもいた。

ヒマラヤの山が近づくと、順番にコックピットに入れてくれて、機長の近くの椅子に座らせてくれる。

私の番がきた時、幸運にもエベレストの前だった。

「あれがエベレスト、隣がロ−ツェ8510m、奥はマカル−8481m、遠くに見えるのがカンチェンジュンガ8598m。」.まさに世界の屋根と言う感じだ。

写真でしか見たことがない山が目の前にある。

初めて見るエベレストは周囲の山を圧してそびえる、ピラミッド型の美しい山だった。

カトマンズに戻って市内見学をした。カトマンズは信号も少なく、車優先のようで、自動車もスピードを緩めようとはしない。道路を渡るタイミングがつかめない。

勇気を出して、車の後に道路に飛び出した。ひいてはまずいとは思っているようで、

道路に出たら,止まってくれた。

 

素晴らしい思い出を残して、わたしのネパール・トレッキングは終わった。