

縦走路より滝のように流れる雲 日高山脈縦走路より離れて
登る人も少ない1839峰
= ぺテガリ岳登山 =
日高は日本に残された最後の秘境だと思う。深田久弥の“日本百名山”に選ばれたために、日高山脈の最高峰、日高幌尻岳に登る人は多くなったと聞くが、日高山脈の中には、未だ登山道などなく、沢をつめて、藪をこいで行かなければ登れない名山も多い。
ぺテガリ岳も以前はそうだったらしい。戦前には、早稲田大学と地元の北海道大学の山岳部が激烈な先人争いをしたと聞く。山の急峻さもそうだが、そのアプローチの長さも日高の山を遠いものにしていた。我々が山登りをする前に日高横断道路の計画が発表されて、すざましい自然破壊がなされた。そのおかげで日高の山も近くなり“はるかなる山、ぺテガリ岳”は立派な登山道ができ、“身近な山”になった。
クラブの後輩二人と夏休みにぺテガリ岳に行った。途中、免許とりたての後輩が猛スピードで車をとばし、スピ−ドオ−バ−の警報が鳴りっぱなし。「山で死ぬ前に交通事故で死んじゃしゃれにならない。」と思った。
日高横断道のための自然破壊はすざましいものだった。かなり奥まで林道はのびていた。
道路のところどころにはがけ崩れの岩がころがっていた。岩を避けるために道のはじに寄ると、そちらは谷だった。スリル満点の道だった。
多額の工費をかけ、すざましい自然破壊を残して、日高山脈の中央にトンネルを作るという横断道の工事は、高額の建築費と維持費のために中止となった。
できても十数分短縮されるだけだそうで、誰がこんな危険な道路を使うのか!。
お決まりの、土建業者と政治家だけが喜ぶパタ−ンである。「責任者でてこい!。」
ぺテガリ岳の登山口にある山小屋に着いた。ぺテガリ山荘はきれいな小屋だった。北海道の山小屋はすべてがそうだが、管理人はいなく、勿論、食事の用意はない。
山小屋では、偶然いっしょになった本州の青年二人と酒盛りになった。彼らはすでに登ってきていたが、「日高山脈は良い。」と言っていた。
翌日、山小屋の雑記帳を読むと、昨日、ぺテガリ岳に登ろうとしたパ−テイが途中で熊の声を聞いて引き返した、と。
上級生ともなれば、「熊が怖いからここでやめよう。」とは言えない。
ましてや、こちらは登山は年期をつんでいる。もしも熊と出合って逃げるとしても、パ−ティの中で一番に逃げる自信はある。
雑記帳を読んでビビル後輩に「さあ、出発。」実は内心は怖かった。
高度を上げるにつれ、日高の山なみが見えてきた。
「日高の山は風が見える。」と、らしくもない先輩が詩人の様なことを言っていたが、
山の頂上からふもとの方に滝のように流れる雲は、まるで風が見えるようだった。
ぺテガリ岳の最後は、200m下って一気に500m直登する。そこが頂上だ。
頂上から見た日高山脈の主稜線が美しい。恐竜の背中のような“1839峰”が迫力をもって迫ってくる。1839峰は北海道の岳人には知られた山で、固有の名前がないので、その標高から“イッパ−ザンキュウ峰”と呼ばれている。