
テッパンベツ川 知床岳頂上直下より見るクナシリ島の雲海と山並み
知床岳登山( 大学2年 夏合宿 )
7〜8月の2ヶ月は大学は夏休みである。夏休みになると、知床班、日高班、大雪山班に分かれて、10日〜2週間、山へ行く。私は知床班に入った。
私達知床班は、男性4人と新人の女性一名。夏休みに入ると直ぐに、食料を買い込んで夜汽車に飛び乗った。札幌の夜汽車に乗ると、朝、釧路に着く。釧路から羅臼行きのバスに乗る。車窓には、別海町の雄大な牧場が広がる。「北海道は広い。知床は遠い。」
そうこうしているうちに羅臼に着いた。羅臼の町立病院にクラブの先輩がいる。
その先輩に山行の後半の荷物を預かってもらう。
羅臼からウトロへの岬周りの遊覧船に乗る(当時は知床横断道路はできていない)。しばらく行くと、船を追いかけてくる巨大な尾びれが見えた。寄ってきた姿を見ると、いるかの大きな群れであった。しばらく、私達の船についてきていた。
知床連山を見上げているうちにウトロ着。
ウトロでホテルに泊まって温泉にでも入りたいところだったが、リーダーの命令でテントを張って一泊。
当時、知床は“知床旅情”のヒットはもう終わっていて、ウトロには山本コウタローの“岬巡り”が盛んに流れていた。
知床5湖までのバスは私達だけだった。
バスを降りて驚いた。バス停に巨大な熊の足跡と糞。当時の知床5湖には、ガイドさんも観光客も、人っ子一人いなかった。
知床林道を歩き始めたが、いたるところに熊の足跡と糞、ふきなどを食べた後。
正直、来たことを後悔した。何故、先輩達はあんなにも堂々としているのだろう。
もしかしたら、内心は私と同じで、これを見てびくついているんじゃないかな?。
ここで熊について語る。北海道には三千頭のひぐまがいる。そのうちの千頭は知床に住んでいる。知床は熊の密度が高いのだ。
北海道の山に登ると、“そこに熊がいる。”ということが、独特の雰囲気をかもしだす。
動物園のひぐまを見ると、「こんなのが鎖につながれずに自由に歩いているところを、私は歩いているんだ。」と、思う。
登山の本には、「熊に襲われたら、懐にとびこんで心臓をナイフで刺す。」
ただし書きがあって、「ただし、これは本州のツキノワグマの場合、北海道のひぐまは逃げるしかない。」
確かに、ツキノワグマの場合、闘って助かったと二ュースは聞くが、ひぐまの場合、殺された話は聞くが、助かった話は聞かないな〜。
通行禁止になっている知床林道を歩いていくと、林道工事の作業員達がいた。「これから飯場(作業員達が寝泊りしているところ)に帰るけど、いっしょにトラックに乗って行け。飯場に泊めてやる。」
「ラッキー!」「今日の予定はテントのはずが、柔らかいベッドに寝られる。」
大変おいしい夕飯をごちそうになった。
飯場のまかないのおばちゃんが「風呂が沸いてるから、入んなさい。」
「またまたラッキー。」しばらく風呂には入れないものと覚悟していた。
札幌でてから入っていない。まさか、今日、風呂に入れるとは思ってもいなかった。風呂は飯場から10mぐらい離れたところにある。
入ろうとした時、壁に一枚の写真が貼ってあるのを発見。薦められた風呂の小屋と、その横に立っている熊。
「この写真なんですか?」おばちゃんに尋ねると、
「風呂の小屋の横に熊が出てくるので、最近は食物の残飯をあげている。」と。
その夜は、我々、だれも風呂に入らなかった。
この風呂に入ることのできる作業員さんはエライ!
熊のことばかり話たが、ここで知床岳について話す。
知床岳は1200mちょっとの無名の山である。知床の山といえば羅臼岳と知床硫黄山の縦走が有名で、今ほど登山ブ−ムでなかったが、登る人は多い。
しかし、硫黄山から知床岳への縦走路はなく、岬の先に孤立した山である。
登山道などついていない。川を上がって行くのである。
我々の夏山登山のスタイルは、もっぱら沢登りである。工事用の地下足袋にわらじ、この格好で川を上がって行く。川の水がつきたら藪を越え、頂上に至る。
わらじはぬれた岩の上を歩くのには、滑らなくて最適である。北海道の山、特に日高などは、道などないので、この沢登りでないと登れない山が沢山ある。日高は日本に最後に残された秘境だと思う。大雪山は登山道はしっかりしたものがあるが、“カウンナイ”と言う北海道で一番美しい沢があるので、我々は、あえてその沢の沢登りをする。
沢登には、地図や天気図が読めることは勿論、滝を登ることもあるので岩登りの技術やザイル ワークの技術も必要となる。
真夏は登山道を歩くのは暑く、適当に水を浴びる沢登りは気持ちが良い。
飯場の人々に別れを告げ、知床林道を進む。
はじめ断崖絶壁の上にあった林道も、知床半島の先に進むにつれて海辺に近づいてきた。
(最近、知床を世界遺産に申請して、知床の風景がテレビによくでているが、あの中で海辺で遊ぶ熊を見た方もおられるかと思うが、あれを撮ったところは、この辺だと思う。)
いよいよ、知床岳から流れてくる沢、テッパンべツ川に着く。
テッパンベツ川は意外に細い川だった。川口には岩魚や鱒が群れをなして泳いでいる。
釣り好きにはたまらない川だろう。
また熊の話になるが、こんな熊の多そうな川をさかのぼって、人の来ない山に登るなんて・。
何故、先輩達は怖くないんだ。もしかしたら、怖いけど、五人もいたら、熊に襲われても、自分一人ぐらい助かると思っているのかな。?
後輩を守ってくれると思っていたけど、藪の中で“ガサ”と音がしたら、持っていたナタを後輩に手渡して、真っ先に逃げようとしたリーダーの話も聞いたことがある。
でも、ここまで来たら、行くしかない。
しばらく沢をさかのぼった後、天気も良いし、川にはあまりにも岩魚が多いので、本日の夕食のおかずに魚釣りをすることにした。
テグス糸と釣り針とおもりはあらかじめ用意してきた。竿は木の枝、餌はソ−セ−ジのかけら、釣れるとその魚の目玉が餌に変わる。
これが、いやになるほど釣れた。餌をつけなくても釣れる。夕食のおかずには十分につったところで、資源保護のために終了。
再び歩き始め、テントを張るのに十分な場所を見つけ、今日はここまで。
夕食は岩魚のてんぷら、岩魚の塩焼き、岩魚の味噌汁、豪華三点セット。
次の日。 昨日は林道観光と魚釣りに時間がとられて、あまり進めなかったので今日は頑張らなければならない。しかし、滝などで沢が進めない時は、川の横のがけを登らなければならないが、これが、さすが知床、かなり手強く、思ったより時間がかかった。
夢中で、いつしか熊のことも忘れていた。熊よけのために吹く新人の女性部員の”ピーピーとうるさかったホィッスルも、いつの間にか、聞こえなくなっていた。
予定では頂上を踏めるはずが、今日も川の傍でテント。
テントを張って夕食の用意をしていると、昨日もすごかったが、蚊の大群がおしよせてくる。熊の血を吸っている蚊である。ズボンを通して皮膚まで針がとどく。手足も顔もボコボコになった。
誰かが、「タバコの煙を嫌うんじゃない?」と言ったので、吸えないタバコを無理して吸ってみたが、知床の蚊はタバコを嫌がらないらしく、全く動じない。むこうだって、熊以外にたいして獲物がいないのだろう。必死である。
次の日、いよいよ、今日は頂上。天気は快晴。やる気になる。
テッパンベツ川も細い一すじの水の流れとなり、やがて、それもなくなった。
いよいよ藪に突入。最初は熊笹をかきわける。
次に這い松。この這い松が強烈。普通、這い松は地面を這う様に伸び、高さは数十cmぐらい。ここの這い松はたてに伸びており、高さは2m近い。そこを進む姿は、まるでサルが木から木へとわたって行くようだ。そんな藪こぎを2時間ぐらい、行っただろうか?
やっと藪がなくなって、頂上が見えてきた。
ついに頂上に立った。
今まで登って来たテッパンベツ川の沢筋と河口、河口が意外と近くに見えたその先には青いオホーツクの海が広がる。随分と大変だったが、「これしか歩いていないんだ。」と、思った。
羅臼側には細い登山道があった。しばらく歩くと、数メートル〜数十メートルの小さい池が点在する台地があった。焚き火の跡がある。しばらくぶりに見る人間の痕跡だ。
そこを本日のキャンプ地とした。
次の日は天気が悪く、一日雨。今まで順調だったので、無理に動かず、一日中テントの中で寝て疲れをとる。
翌朝早く、朝食を食べて出発。下界に帰る日と思うと、なんだか嬉しい。
登山道を進む。朝焼けに輝く国後島が見えてきた。海には雲海が広がり、雲の間からは国後の山々が島のように顔をだし、本当にすばらしい景色だ。
休憩をとらしてもらい、写真を撮った。
知床旅情に、確か「はるか国後に白夜はのぼる」という歌詞があったと思うが、実際に見た国後島は“はるか”ではなく、思っていたより近かった。
今、不当占拠されているが、この島を故郷とする人や先祖の墓のある方にとってはくやしいだろう。この近さは、国後は日本領土だ!
道はやがて沢になる。魚もいない岩がゴロゴロした川だった。
この頃には、熊のことはすっかり忘れていた。
川原を歩いていくと、くさった木があり、蟻の巣があったらしく、熊の、木をひっかいたキズと卵を抱いて逃げる蟻。これって、今、くまが蟻の巣を掘っていて、我々の姿に気づいてにげたんじゃないの。
しばらく行くと突然、眼の前に知床の青い海が広がった。
予定では、知床硫黄山に到る沢を登り、硫黄山から羅臼岳へ縦走するのだったが、札幌に急用ができたのでここで中止。
羅臼からのバス。他のお客さんが私達の方を見る。
しばらく風呂に入っていない上に、着ている服からは藪の匂いと土の匂いの混じったのような匂いがした。そのままの姿で札幌へ帰った。
(追)残念ながら、私の夏合宿参加はこの一回だけになってしまった。
翌年の夏、私は北日高に行くつもりだった。忘れもしない、グループと札幌駅でおち合う予定の朝、身体の異変に気づいた。すぐ私の大学の病院へ行ったら 「すぐ入院して下さい。今年の進級はあきらめて下さい。」と、医者に言われた。
先輩に連絡をとり、行けないことを伝えた。それから一年近い入院になった。
あと何日間か気づくのが遅く、山の中で倒れていたら、もっと、メンバーに迷惑をかけただろう。生きていなかったかもしれない。そういう意味では、当日に具合が悪くなって、まだ、ラッキーと言えるのかも知れない。