我々の席は一番後ろだったが、夕食の後、我々の横に色んなお酒を置いたワゴンがあり、呑み放題だったのでしこたま呑んだ。酔いつぶれて寝ていると、アメリカのアンカレッジ空港で「飛行機から降りるよう」アナウンスがある。給油のためとまると。
当時、まだソ連と冷戦状態にあったころで、ヨ−ロッパに行こうとすると、アンカレッジ経由北回りかインドの方を通る南回りであった。
アンカレッジにいたのは何時頃か忘れたが、外は明るかったことを覚えている。
アンカレッジを出ると、アラスカの雪山が続いた。




モンマルトルの丘 ルーブル美術館 ノートルダム寺院
パリ、スペイン 二人旅
= 日本〜パリ =
大学も無事、落第することもなく卒業した。二月に卒業してから国家試験の合格結果の判る五月まで本当に長い。長いからといって、何処かに旅行する訳にはいかない。
医師国家試験が四月の初めにある。
家で勉強していると飽きるので、日中は大学の図書館へ行った。
図書館の掲示板に旅行会社のポスタ−が貼ってあった。
「格安航空券ありますエ−ル フランス。パリ・成田往復七万円」
千歳・羽田だって五万円以上はするのだ。格安感は否めない。
好奇心の虫が動き出した。「行ってみたい。」
ポスタ−を眺めていると、同期生がやってきた。
「安いし、合格発表まで時間があるから、国家試験が終わったら行こうと思う。」
「いいねえ。僕も行こう。」
何だかんだで七人になった。
今で言えば、卒業旅行のようなものだ。
試験が終わって、旅行会社に予約していた飛行機のチケットとユ−レイルパス(ヨ−ロッパの当時の自由主義国16ヶ国の鉄道の一等グリ−ン自由席乗り放題、当時、一ヶ月チケットが二万円ほどだったと記憶している。)を購入して、「さて何処へ行こうか?」
いつも行く大学の近くの喫茶店で作戦会議を開いた。
皆はドイツ、スイス、イタリア、を回ってくる、と。
私はあるテレビ番組を見てからスペインに行こうと決めている。歌舞伎役者の坂東玉三郎の紀行番組だったと記憶しているが、玉三郎がスペインのアランフェスを旅行して、バックにはアランフェス協奏曲が流れる。そのアランフェス協奏曲が気にいった。心はアランフェス。スペインの南、ジブラルタル海峡は船で2〜3時間でアフリカ、モロッコ。
モロッコにはハンフリ−ボガ−ドのカサブランカがある。あわよくばサハラ砂漠が見られる。スペインへ行こう。! 一人旅は慣れている。一人でも行くぞ。
他の六人の一人が「僕もスペインに行く。」
そんなこんなで、五人のドイツ・スイスグル−プと私達二人のスペイングル−プに分かれた。
東京に着いた時は桜が満開だった。成田を夜に発った。

機内放送が入り(エ−ルフランスは我々以外の日本人も多数乗っており、日本人のスチュ−ワ−デスが搭乗しており、日本語のアナウンスもある。)「機内に急病人がでました。どなたかお医者さんがおられましたら、お近くの搭乗員までご連絡ください。」
スチュワ−デスさんはあわてて機内を歩いているが、医者はいないようだ。
「あの〜、国家試験を受けたばかりで、まだ免許はないんですが・・。宜しかったら,診ましょうか?」
日本人のスチュワ−デスに言った。
よほど困っていたのだろう。私のような若僧だが「是非お願いします」と。
案内されて行ってみると、トイレでフランス人が倒れて苦しんでいる。
脈や全身状態を診たが、何が起きているのか、さっぱり判らない。
「そうだ。飛行機に酸素がある。」と思い、「酸素をやってください。」
しばらく酸素を吸っていると、「大丈夫。楽になった。(スチュ−ワデスさんの通訳)」と言って、苦しがっていたフランス人が、立ち上がって、席に戻っていった。
本当に良くなったのか、はたまた、こんな若僧に身をまかせるぐらいなら、良くなったふりをしようと思ったのか、どちらかは判らないが、これが私の行った初めての医療行為。
そうこうしているうちにパリ郊外のシャルル・ドゴ−ル空港に着いた。
パリは早朝らしく、まだ少し暗くて、朝霧が立ち込めていた。このへんの時間の感覚はさっぱり分からない。これが時差ぼけと言うやつだろう。
シャルルドボール空港に降りて荷物を待っていたが、一向に我々の荷物が降りてこない。
次第に他の乗降客はいなくなり我々だけとなった。
「最初からトラブルかよ。アンカレジにおいてきたんじゃないの。」などと話していたら、やっと荷物がでてきた。他に紛れていたと。
空港からパリの街まで鉄道が走っている。汽車に乗ってパリ北駅に着く。
駅をでると、そこは外国であった。(当たり前か!)
石造りのアパ−ト。ステッキを片手に、犬を連れて、早朝の街を散歩するご老人。
「すごい!外人ばかりだ!」(当たり前)
北駅の近くの喫茶店に入って、しばらく道行く人を眺めていた。
帰りの飛行機に乗る前の日の夕方にこの喫茶店で落ち合うことにして、ドイツ グル―プと別れる。
相棒と二人、歩き始める。「オ−!凱旋門だ。」北駅から歩き始めてまもなく凱旋門が見えてきた。
「写真と同じだ。」(これも当たり前)


凱旋門 セーヌ川。遠くに見えるのはエッフェル塔



オペラ座と思って写真を撮ったマドレーヌ寺院 ノートルダム寺院 内部から見たステンドグラス


モンマルトルの丘 モンマルトルの丘から見たパリの風景
凱旋門から、道は放射状に広がっている。その中の一本に有名なシャンゼリゼ通りがあり、そこを歩く。
横に向かうと川が見えてきた。「オ−! これがセ−ヌ川か。あれに見えるはエッフェル搭。」二人とも初めての外国旅行に興奮状態。その日はパリ市内を歩き回り、夕方、南の方の駅からスペイン行きの汽車に乗った
汽車は個室になっており、壁に取り付けてあるマットを倒すと、個室一面がマットでカバ−されるようになっていた。個室は我々二人だった。
眠ってしまって何時ごろか不明だが(外は真っ暗だった。)、突然、起こされた。
「国境だ。いよいよスペインだ。」ヨ−ロッパ16ヶ国の内、スペインだけは線路の幅が他の国と異なるため、汽車を乗り換えなければならないのだ。
簡単な出入国の手続きをした後、汽車を乗り換える。
ベレ−帽と軍服を着た(おそらくはスペインの軍人さん)が、「ハポン、ハポン」と我々を指差していく。日本人は国境では珍しいらしい。
朝、マドリ−ド郊外の駅(何と言う名前か忘れた。)に着いた。ここからマドリ−ド市内のアト−チャ駅までは乗り換えが必要。
簡単な朝食をとってマドリ−ド行きの汽車に乗った。
ところが、行けどもマドリ−ドに着かない。時間的には、とっくに着いていいはずなのに、むしろ、だんだん田舎へ向かう感じだ。
何人なのか?向かいに英語でお話している老夫婦がいたのでマドリ−ドへ行きたいことを英語で伝えた。(英語が得意な訳ではない。ここのとこ、まったく訳のわからないフランス語やスペイン語を聞いてきたので、英語を聞くとホッとした。
それで、知っている英単語をならべただけ。)
老夫婦が車掌さんに私達のことを、スペイン語で話してくれた。次の駅で車掌さんが駅員さんに私達のことをなにやら話してくれた。
「ここで降りろ。駅で待て。」 多分、そんなことを言ったのだろう。
汽車を降りて、駅でマドリ−ド行きの汽車を待つことにする。
汽車が来るまで時間があったので、駅前を歩いてみた。
子供が私を見て驚いたような顔をして、私の方を指差して、お母さんに何か言ってている。どうやら、この街でも日本人は珍しいらしい。
駅前の喫茶店を覗くと、客がインベ−ダ−ゲ−ムに興じているのが見えたのを覚えている。
そんなこんなで、マドリ−ドのアト−チャ駅に着いたのは午後になった。
アト−チャ駅から歩いてもさほど遠くないところにマイヨ−ル広場と言う広場がある。そこに一泊五百円ぐらいのホテルを見つけて宿を取る。
ここで広場について書いておく。スペインの大きな街には広場がある。広場の周りは喫茶店やレストランに囲まれており、その外にもテ−ブルが並んでいて、広場を見ながら呑んだり食べたりできる。
夕方になると、街の住民のほとんどが集まってきたのかと思うほど多くの人が集まってきて、ビ−ル片手にワイワイしゃべっている。
これがスペイン流のお酒の飲み方なのだろうか?
ディスコは見かけたが、日本のような飲食街は見かけなかった。
スパイン滞在中は、夕方になると広場に行った。
そこでビ−ルと酒のつまみを頼んだ。
メニューを見てもわからないので、安そうなものに指をさす。
何が出てくるかは、持ってきたところでのお楽しみだ。
ソ−セージと生ハムの盛り合わせがでてきたことと、小魚とえびのからあげのようなものがでてきたことを覚えている。
必ず硬くて大きなパンがついてくる。これを食べていると夕食がいらなくなる。
“パエリア”のような、有名なスペイン料理は一度も食べずに帰ってきてしまった。
話を戻す。シャワーを浴びて(風呂付の部屋を頼んだが、湯船の蛇口からお湯が出てことは一度もない。シャワーからはお湯が出たが、しばらくすると水になる。二人で五百円ならしかたがないか、とあきらめた。)ベッドに転がっていると、いつの間にか寝てしまった。これが“時差ぼけ”というやつだろう。とにかく眠たい。
眼がさめたら夕方だった。窓の外からフラメンコが聞こえてきた。フラメンコのギターの音と歌を聴いていると、「自分は憧れていたスペインにいるんだ。」という実感がわいてきた。



マイヨール広場 広場の近くにあるスペイン王宮 王宮のそばにあるセルバンテスとドンキホーテの像
次の日、待望のアランフェスに行く。
アランフェスはマドリードから汽車で一時間ほどの所にある小さな街で、王様の避暑地として今も別荘が残っていて、観光客に一般公開している。
別荘を見ようと行ったが、「昼寝の時間だから二時まで待て。」と言う。
多分、そんな事を言ったのだろう。手を振って入れてくれなかった。
ここで、スペイン人の昼寝の習慣について書いておく。
ガイドブックによると、スペイン人は2~3時間の昼休みをとる。家に帰って、家族とゆっくりと昼食をとり、昼寝をして、職場に戻り午後の仕事をするのだそうだ。
これは徹底していた。何せ、昼食を食べようとしても、レストランもお店も昼休みなのだ。美術館に入ろうと思っても、これも昼休み。この時間は街の動きが止まるのだ。スペインはヨ−ロッパの中では貧しい方の国に入るそうだ。
この習慣や広場での騒ぎを見ていると、そうかもと思う。
でも見るからに楽しそうなスペイン人の生き方が「辛い思いをして出世したから幸せになったのか?お金をもうけたら幸せなれるのか?」と私達に生き方を教えてくれているようだった。
やっと別荘に入れてくれた。二十人ほどのスペイン人の観光客がいた。ガイドさんが一人ついて、部屋ごとに説明してくれる。天井や壁に素晴らしい絵が書いてある。
ガイドさんがスペイン語で説明してくれる。その都度、観光客からはどよめきや笑いがあがる。我々二人だけキョトンだ。


アランフェス宮殿の門 ガイドさんの説明を受けながら続いて歩く



王の寝室 食堂 何の部屋?
アランフェスから南に少し南に行ったところに、中世の城壁で囲まれた街,トレドがある。そこを見て、一端、マドリードに戻り、夜汽車で南のグラナダへ行く予定だった。トレドの街を歩いてみると、この街も人も予想以上におもしろい。
短時間で帰るには、奥の深い街だった。



トレドの城壁と入り口 トレドの町並み 狭い道が迷路のように続く 家と家とが渡り廊下でつながっている


トレドの寺院 トレドの広場
トレドで一泊することにした。安そうなホテルがあったので入ってみた。玄関を入ると階段だった。二階からおばあさんが顔を出し、私達に何やら言ってくる。
真っ黒な服を着て鼻の曲がった、まるで童話にでてくる魔法使いのおばあさんのようだった。我々もスペイン語の旅行会話の本など出して泊めてくれるよう話すが
お互いにちんぷんかんぷん。怒鳴ってくるので「入ってくるな。」と言われているのかと思ったが、階段を上がっていくとニコニコしていた。結局は「階段を上がって来い。」と言うことのようだ。その間、10分以上。
翌日も午前中、トレドの観光。午後アトーチャ駅に戻る。ここで汽車の指定席を買おうとしたら(スパインだけは、長距離列車に自由席がなく、指定席が必要。)売り場はすごい行列。「何だろう?これは。」
ガイドブックをよく読むと、4月にイースターの連休があると書いてある。
指定席を買って、汽車で旅行している日本人など少ないからか、本の片隅に書いてあった。それが始まったようだ。スペイン人は汽車に乗る直前に指定席を買うようだ。ここから予定は大きく狂いだす。
長い行列に並んでやっと自分の番が来る。時刻表を見せて、希望の汽車を指差すと、手を振って「空いてない」とやられる。
言葉がしゃべれないので、また行列の最後に並ぶ。また、「ない。」とやられる。
そんなことを2〜3回続けて、「そうだ。第一希望、第二希望、第三希望を時刻表に丸をつけておこう。」気づくと簡単だが、それに気がつかないほど、指定席をとるのに必死だった。
やっと、明日の夜の二等車の椅子席がとれた。仕方がないので、マドリ−ドに安いホテルを探し、市内観光。
次の日の夜、硬くて狭い椅子席だったが、やっとグラナダに向かうことができた。グラナダにはアルハンブラ宮殿がある。今回の旅行で是非行きたかったところの一つだ。
朝、グラナダの駅に着く。まず、今夜のホテルを決める。



アルハンブラ宮殿 アルハンブラ宮殿の有名なライオンの噴水


アルハンブラ宮殿から見たグラダナの旧市街 アルハンブラ宮殿全景
ホテルに荷物を預けて、アルハンブラ宮殿を見に行く。アルハンブラ宮殿は小高い丘の上にあった。宮殿から見えるグラナダの旧市街の白い家とピレネ−の山並みが美しい。空は青く、アフリカに近くて暑いのだが、空気が乾燥しているせいか、清清しい。
アルハンブラ宮殿を見た後、現実に戻って、グラナダ駅に指定席を買いに行った。これが、同じようにジブラルタル海峡方向の汽車の指定席が全くない。イースターが終わったらあるかもしれないが、約束の時間に間に合わない。
ポルトガルに行ってみようか、バルセロナに行ってみようか、と色々考えたが、それもない。あきらめてグラナダをもう少し見て、同じルートでパリに帰ることにした。そんなわけで、私のアフリカ行きは夢に終わった。
数日後、再び我々はパリの街にいた。パリの北駅の傍にホテルをとった。
残りをパリ見物に費やす。パリでまだ見ていない所はたくさんあった。




彫刻像が並ぶ廊下 ミロのヴィーナス 絵画が並ぶ廊下




ルーブル美術館ではストロボをたかなければ写真撮影は自由でした。 モナリザのある部屋混んでいて写真撮影できず


ルノアール 落穂ひろい 羊飼いの少女 オルセー美術館所有
やはり感激したのはル−ブル美術館であった。中学の美術の教科書で見た絵が何気なく、廊下の片隅にかけてあったりする。有名な“ミロのビ−ナス”も階段の上のフロア−に置いてあったが、見物客は少なかった。“モナリザ”の部屋と言うのがあって、他の絵とともにモナリザがかけてあったが、さすがにその部屋は人が多く、並ばなければ近くに寄れなかった。あきらめて他の絵を見たが、後で考えるとそれが心残りだ。半分ほど見て、うろうろ歩いていると、間違って出口からでてしまったようだ。あわてて入ろうとして、係員のおばさんに止められた。
まだ見たい所がたくさんあったので、翌日再びルーブルに行って、それから印象派の絵画のあるオルセー美術館と、美術館のはしごをした。
パリでは別行動だったが、相棒は本日は郊外にあるベルサイユ宮殿を見に行った。
翌日、約束の喫茶店でドイツ グループと落ち合った。幸い、我々の泊まっていたホテルが空いていたので、皆とそこに泊まった。
ヨーロッパ最後の夜は派手にやろうと、パリのスーパーに安いワイン(一本五百円
(追)スペイン人は本当に親切で人懐っこかった。(フランス人がそうではないと言うわけではないが・・・。)
地図を広げて、街をうろうろしていると、誰かが寄ってきて案内してくれた。
汽車では気軽に話しかけてくる。こちらがスパイン語はまったくわからないと知ると、お互いに片言の英語の会話になった。
スペインの思いでは、人の親切さと駅の行列だった。言葉がわからなくて大使館を探そうかと思ったこともあったが、懐かしい思い出になった。