= 中国・・北京〜西安〜上海 =

特に英語が得意なわけではないが、思い切って国際学会に演題を出して、部長と二人北京に行き、ついでに西安と上海を旅行してきた。

北京空港は成田空港から3時間ぐらいだったと思う。北京空港は意外と小さな空港で、北京オリンピック誘致一色だった。(この時は、結局、シドニーに負けた。)

ガイドブックによると「空港に男子の小便器は一つしかなく、あとは北京市内までない。」と書いてあったが、実際そうであった。

北京市内までの道はロバ車も行き交う、中国にきたんだと実感させるのどかな道だった。古くは、ニクソンも田中角栄も通った道なのだなどと考えていた。オリンピックに備えて、高速道路にする計画だと、ガイドが言っていた。

北京市内にはいってみると、高層ビルの建設ラッシュだった。驚いたのはビルの足組みは細い竹である。竹をつないで足組みを作っている。いくら地震がないとは言え、折れたことはないのだろうか。

宿泊のホテルにチェックインした後、午後はガイドさん付きで北京市内観光。


      天安門広場                         紫禁城                  天安門広場裏の公園             

はじめて見る天安門広場は、とにかく広かった。排ガス規制がないのだろう。空気が悪く、眼がちかちかする。広場の近くに紫禁城という、昔の王宮がある。広い紫禁城を見学した後、市内の公園のようなものを見た。

夜は食事の後、舞台のある劇場のようなところで雑技団(サーカス)の演技を見た。

翌日は、学会発表もあったので、比較的まじめに学会に参加した。

学会場は天安門広場の傍にある北京飯店。飯店とはホテルと言う意味。

学会の合間に紫禁城の周りを歩いてきた。紫禁城の片側は政府高官の居住区となっており、おのおの広い敷地に立派な家が建っている。門には、必ず、警備兵が立っている。

片側は庶民の街で、小さなお店などが建っている。

夜は別の雑技団を見にいった。ガイドブックによると、芸をするパンダがいる雑技団があるという。昨夜の雑技団が気に入り、それが見たいと、ガイドさんに頼んでおいたのだ。

昨夜よりはるかに規模の大きい雑技団で、大きな体育館のようなところで行っていた。

残念ながら、パンダは死んだとかでいなかった。ホテルに帰ってテレビを見た。

ホ−ルのようなところで、紙ふぶきがまい、“オリンピックばんさい”というようなことをやっていたので、てっきり北京に決まったのかと思っていたら、予行演習だった。

テレビを見ても、さっぱり判らなかったが、“どらえもん”が中国語でやっているのがおもしろかった。以前行ったフランスやスペインは言葉がちんぷんかんぷんだったが、中国語は漢字なので、何となく雰囲気が判ることがあった。

北京で初めて認識したのだが、部長は中国人から見て日本人に見えるが、私は中国人に見えるらしい。両替でもうけている人がいて、独りで歩いていても、二人で歩いていても、部長は「円、両替しないか?。」とよく話しかけられるが、私は一回もなかった。(それとも、私はお金を持っていないと見られていたのか?。

翌日、せっかく北京に来たのだからと、学会をさぼって万里の長城を見てきた。


     万里の長城

万里の長城は北京から車で一時間ぐらいのところにある。

我々の乗った車は猛スピ−ドで道の真ん中を走る。反対から来る車も道の真ん中を猛スピ−ドで近づいて来る。危ないと思った瞬間、絶妙のタイミングで車線にもどる。

私は生きた心地がしなかったが、部長とガイドさんはグウグウと寝ている。

さすがに世界的観光地。観光バスが沢山停まっており、西洋人や中国人の観光客がいっぱいいた。

北京に帰って、部長は午後の学会にでるとのことだったので、別れて、一人、北京の街をぶらついた。

高層ビルが立ち並び外局の企業も多いが、古い町並みも残っている。

北京駅にいってみて驚いた。農村から出てきたけれども職がないのだろう。日本でいうホームレスのような人でごったがえしていた。怖いので外にでてきた。駅の傍には、中年の夫婦が、旅行鞄を枕に道端に寝ていた。

最近マスコミでは、中国の反日運動が問題になっているが、この光景を見た私の意見は、単に政府の高官が、現在の恵まれた自分たちの環境を維持したいが、庶民がこの現実をしれば第2の天安門事件がおこるだろう。国民の眼をそらすために、反日教育はうってつけだ。

その時は、「7億の国民をまとめていくのは大変なことだ。このままでは、農村と都会に二分して、中国はまとまりが付かなくなる。」と思った。

とにかく、開放政策とは言え、中国は共産主義の国だと思っていたが、現実をみて、「なんだ、これは。」と驚いた。

夜は、以前癌研にいた先生と3人、北京ダックで有名なレストランに行った。


我々の食べた北京ダック 目の前で取り分けてくれる      中国の古い楽器を演奏しながらの麺をうってくれる

北京ダック一羽2000円ぐらいだったと思う。部長は「油っぽいものはダメ。」

もう一人は少し食べただけで「もういい。」というので、ほとんどは私が食べた。おいしかった。北京ダックでお腹いっぱいになった。

翌日、学会が終わったので、北京をガイドしてくれた中国人のガイドさんと別れ、中国の古い都西安に飛んだ。

北京を出ると、赤茶けた大地が続く。やがて西安に着いた。

西安の街は風が強く、砂埃の風が吹いていた。ここまで来ると、シルクロードの風が吹いてくるような気がした。

住民も北京とは異なり、少し中央アジアの感じがした。

ついた翌日、有名な始皇帝の“兵馬俑”を見てきた。兵馬俑は、始皇帝の家臣達に似せた、一つ一つ顔の違う土でできた等身大の人形が何百体と、大きな体育館のようなところに並んでいる。奥の方はまだ発掘中で土の中から人形が掘り出される途中だった。

それはみごとなものだった。写真撮影は禁止で、「欲しいなら写真を買え。」とのことだろう。写真が売っていた。中国らしい。

翌日、上海に飛んだ。上海は、超高層ビルが乱立していた。これも足場は竹なのだろうか?

翌日、上海市内見学。昼食に何故か「中国に来たのだからゲテモノを食べよう。」と言うことになり、猫のヒラキもあるそうだが、さすがにそれは遠慮して、蛇を食べることにした。

上海でのガイドさんが蛇専門のレストランに案内してくれた。「あなたたちが食べる予定の蛇。」と言って、お店の人が長くて真っ黒の生きた蛇を見せてくれた。

「どう料理するか?」と聞く。隣のテーブルを見ると、同じような蛇のぶつ切りがお皿に盛り付けてあり、寄せ鍋のようにして食べている。

それはパスなので、細かく切って、野菜炒めにしてもらった。印象としては、小骨の多い魚のようだった。

店の人がお酒と蛇の血を混ぜたものを一つ持ってきた。コップの中には、さきほどの蛇のがピクピクと動いている。コップの中で動く心臓をしばらく見ていた。誰も手をださないので、勿体ないから私が飲んだ(後で考えると勿体ないと考える必要はなかったな〜)。勢いとは言え、今思い出しても、気持ちが悪い。