樹齢7200年という神が宿る木       熱帯を思わせる海岸近くのガジュマルの林
縄文杉          

山陰・九州・屋久島

= 山陰 九州 ぶらりと一人旅 =

大学の春休みは長い。二月中旬から四月中旬まで二ヶ月もある。

クラブの同級生二人と私とで、九州最高峰、屋久島の宮之浦岳に登る計画を立てた。

鹿児島でおち合う約束をして、私は、一人用のテントを持って、二週間ほど先に、ぶらり一人旅と決め込んで、小樽発福井県敦賀行きのフェ−リ−に乗り込んだ。私の記憶では、当時、床に雑魚寝の一番安い料金で1500円ほどで行けたと思う。

小樽をでた船はその日一日走り、翌日の夕方、敦賀に着く。

あまりお金を使わない旅行を目的としていたので、三食食事は船の自動販売器のアンパン。

そろそろフェリ−が敦賀港につくので、「今日の夜はどうするかな?」と考えていると、敦賀港の傍に、きれいな浜辺が見えた。「今夜はあそこにしよう。」

人気のない浜辺。星のきれいな夜だった。ラジオ(天気図をつけるため登山には必需品)をつけると、北海道の放送がやけにきれいに聞こえたのを覚えている。

{ あの時期は北朝鮮が盛んに拉致を行っていた時期にあたる。当時、知らなかったから泊まれたが・・・。}

次の日、敦賀駅から汽車に乗って京都府綾部まで行く。昨夜、何処に行こうか考えたが、

日本海側を行くことに決めた。綾部には“日本三景天橋立”がある。なかなかの絶景。

綾部から兵庫県浜坂まで歩く。

浜辺の方に歩いていってテントを張った。

夕方、テントの中で寝ていると、子供の声で「おとうちゃん、庭に誰かテントをはっているよ。」 どうやら人の家の庭だったらしい。

動くのも面倒なので寝たふりをした。

次の日、早く起きて海辺を歩き始めた。この日はよく歩いた。浜坂から鳥取砂丘まで。

途中歩いた“山陰海岸国立公園”はきれいだった。

砂丘について、「今までろくな物を食べていない。」 そこで、レストランに“名物サボテン定食”と書いてあったので、それを頼んだ。

頼んでから気づいたが、鳥取といえば、なしやらっきょうがとれると社会科で習ったが、サボテンが名物とは聞いたことがない。

聞いたことがない。砂丘とサボテン、イメ−ジ的に合うから名物なのかな・・・。

と思ったことを記憶している。

この日、天気は良かったのだが、砂丘について食事をしている頃から雨が降り始め、やがてどしゃぶりになった。

「雨の中でテントで寝たくないし、しばらく風呂にも入っていない。今日は旅館に泊まろう。」

鳥取駅の近くの安旅館に泊まった。風呂あがりのビ−ルがおいしかった。

 次の日、島根県松江まで行った。(さすがに今日は歩く気にならないので、汽車を使った。

松江ではゆっくりと歩きたかったので、一泊することにしていた。

宍道湖の傍に温泉ホテル街があったが高そうなので、市内の安宿に決めた(テントを張る場所が見当たらなかったこともあります。)

宿を決めて、宿に荷物を預かってもらうと、市内の観光をした。中では“小泉八雲亭”と松江城が記憶に残っている。今はどうなっているのか知らないが、私が行った時の松江城は昔のままの城で、スリッパに履き替えて見学した。(私の記憶では、そのままの姿で残っている城は2つしかないと言っていた。)

それから、出雲大社を見てきた。その時ひいたおみくじに“近々、大病する。気をつけるように”と言うのがあった。偶然だが、数ヶ月後に入院するはめになった。

次の日、今回の旅行で是非みたかったところの一つ山口県秋芳洞“に向かう。

秋芳洞はなかなか見られない風景でお奨め。ここからバスがでており、それで山陽路小郡に行く。小郡から新幹線に乗って博多についた。

今夜は博多の駅の待合室に泊まることにする。(博多駅は24時間あいていた。)

その夜は大変寒い日で、博多の街に雪が降っていたのを記憶している。

待合室で寝ていて、気がつくと、一般客はいなく、そこはホ−ムレスの会場のようになっていた。私も勧められるままに酒を飲んだ。なかなか普通では聞くことのできない話をしてくれた。

アルコ−ルもつきた頃、朝になった。ホ−ムレス達は、「一般客に迷惑がかかるから外に出よう。」と言う。

どうも私を仲間と思っているらしい。姿形は似ているけれど、私は鹿児島行きの汽車を待っている客なのだ。一般客の迷惑にはならないだろう。断って、汽車を待つ。

鹿児島行きの汽車に乗る。鹿児島が近づいてきた時、このまま鹿児島で友を待つにももったいないと思い、伊集院というまちで降りる。

枕崎に行ってみることにする。私の出身中学は枕崎中学校と姉妹こうだった。私が中学生の時、わざわざ北海道まで生徒代表の方が訪ねてきたことがあった。

それを思い出して枕崎に行くことにした。

伊集院から枕崎まではヒッチハイクで車を乗り継いだ。意外に容易に車に乗せてくれた。

枕崎では旅館に泊まった。風邪気味だったので、屋久島を前に体調をくずしたくない。

イセエビ一匹の塩焼きと名物“カツオのたたき”の夕食で4000円だった。

次の日は車中大変美しく見えた山、開門岳に登る。

一時間ほどで登れ、頂上からは錦江湾が美しい。

“日本最南端の駅”(と、看板に書いてあったと記憶している。) 山川から船に乗って錦江湾を渡り、大隈半島へ行く。

大隈半島から桜島行のバスが出ていたので、それに乗る。

桜島観光の後、今日はテントで寝ようと思ったが、適当なところがない。

やむなく、ある家の庭の隅を借りることにする。

翌日、今日は友と西鹿児島の駅でおちあう日、

早朝、歩いていくと桜島登山口というのがあったので上って行く。すぐに登山禁止の立て札があったが、他にだれもいないので、先へ行ってみた。桜島の噴火の音が“ゴ−ゴ−”と鳴っており、怖いのでそこでやめた。

船で鹿児島に渡る。待ち合わせ時間まで少しあるので、駅前のパチンコ屋でパチンコをやる。全部の機種が手打ち式であった。「大学の傍のパチンコ屋は自動式だぞ。札幌は鹿児島より進んでいる。」と、妙な優越感を感じた。

幸い、誰一人欠けることなく、西鹿児島駅で落ち合うことができた。

一人は本日、飛行機で真っ直ぐに鹿児島にきた。もう一人は飛行機で九州に来て、2〜3日、大分、別府を回ってきた。

屋久島行きのフェリ−に乗る。3〜4時間かかったと記憶している。

= 屋久島・宮ノ浦岳、縄文杉 =

屋久島は非常におもしろい島である。海辺は熱帯、冬でもガジュマルなど熱帯の草花が咲き乱れ、さんご礁があるが、海からすぐに山になり、冬は山に雪が降ると言う。

また屋久島は巨大杉でも有名だ。

屋久島ではユ−スホステルに泊まった。

翌日、登山開始。最初はまるで熱帯のジャングルのようなところを通る。

屋久島は“一年に370日、雨が降る”と言われるほど雨の多い島だが、この日は晴れ。

しばらく、昔、山で切り出した杉を運んだという鉄道の跡が残る広い林道を進んだ。やがて、そこから分かれて、登山道に入る。 山小屋の近くに“縄文杉”という、樹齢七千年を越える“山の主”のような巨大杉があるというのでそれを見に行く。

杉林の登山道を歩いていくと、突然、私達の眼の前に現れた。聞きしに勝る圧倒的な迫力である。   

今は屋久島は世界遺産に登録されて、縄文杉も近くに寄れないようになっていると聞くが、当時はそんなこともなく、隣で写真を撮ったり、太さを紐で測ったりした。

山小屋は杉からさほど遠くないところにあった。

山小屋には他に泊り客はなかったが、管理人のおじさんによると、シーズンには、トイレの前まで満員になると。

山小屋で驚いたのは、電気がついていることと、電話がかけられることだ。北海道の山小屋では考えられないことだ。

次の日、朝起きると雨だった。「雨の多い屋久島だからしかたがないか。」と寝ていると、昼過ぎから晴れてきた。思い切って頂上にいってみることにする。

どんどん雲が切れて、頂上に着いた時には晴天であった。

宮之浦岳の頂上に立って辺りを見ると、下の方には雲海が広がっていた。屋久島としては雨が降っているのかもしれない。

屋久島の山の上の登山道は笹の草原と岩山のコントラストが美しい。

札幌で読んだ山のガイドブックによると、“九州とはいえ、屋久島の山にも冬は雪が降り、アイゼン、ピッケルの用意が必要である。”

私は、途中の旅行の荷物にもなり、厳冬期でないので用意していかなかったが、雪の場合を想定して練習したことがあった。

札幌に手稲山というスキ−で有名な山がある。そのスキ−場に札幌オリンピックで使われた女子の滑降コ−スの壁がある。

私には垂直に思えるような壁だが、厳冬期の夜中に集まって、屋久島に備えて、ここでアイゼンとピッケルの練習をしたものだ。

とにかく寒かったのと札幌の夜景がきれいだったのを覚えている。

そんな練習も無駄だったようで、屋久島には雪はありませんでした。他の友がザックの中にアイゼンを用意していたかどうかは判らない。

登山道を降りていく途中、日がくれて辺りは真っ暗闇になった。頭にライトをつけていたが、杉の根につまずいて登山道を歩くのはこれ以上は危険となった。

テントを張るのに適当な場所を、と探していたら、ウィルソン株の横に良い場所があった。

ウィルソン株とは、外国人のウィルソンさんが見つけた杉の切り株で、切り株に空洞があって、人が何人も入られる。江戸時代に島民が切り倒したとされており、ガイドブックにも載る観光名所の一つになっている。

当時もその隣でキャンプをするのはとんでもないことだったのかも知れないが、そこで一泊した。

翌朝は晴天。下山して屋久島で一番美しいといわれる海岸へ行った。

白い砂浜と青い海。北海道では見られない風景だった。

その日は旅館に泊まって、宮之浦岳の登頂を芋焼酎で祝った。

翌日、種子島へ行こうと思ったが波が荒くて船は出ないと。しかたがないので、種子島行きは断念して鹿児島へ帰る。

私が見る限りでは、欠航するような波ではなかった。乗降客が我々三人しかいなかったからだと思っている。


宮浦岳頂上から雲海を望む               三月だというのに真っ白な砂浜で海水浴をした